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1:グロブスター Edit

グロブスターはブロブなどとも呼ばれ、ほぼ世界全域の海岸で打ち上げられた死骸が目撃されている。そのほとんどはゼラチン質の巨大な肉塊で、たいていの場合、目鼻もなければ口や手足もない。この奇妙な塊が他のUMAともっとも大きく異なっているのは捏造ではない記録映像や記録写真が存在し、現にグロブスターの死骸とされるものを目撃している人が複数いるという点ではないだろうか。

考えてみれば、これは奇妙なことである。たいていの場合、生物の死骸が確かに確認されれば、たとえその生態が不明であっても、現に存在する死体を元に新種の生物であると見なされるはずである。真贋はともかく、骨や体毛といった体の一部が収集されているUMAは少なくない。だがグロブスターの場合は、そのもの自体が確認されているのだ。なのになぜ、グロブスターは新種の生物として正式に認められないのだろうか?なぜ現物そのものがあるのに、それはUMAとして、不在の可能性が高い生物として扱われるのか。

2:グロブスターを巡る状況 Edit

グロブスターがUMAである理由の一つに、漂着したグロブスターの何体かが巨大なタコやイカといった頭足類死骸であったり、クジラの死骸から骨が脱落したものだと判明したから、ということが挙げられるだろう。そうなると他の例もグロブスターの死骸ではなく、既知の海洋生物の死骸である可能性が出てくるからだ。
その異様な形態が、どのような他の既知の生物の仲間とも思えない、ということもあるだろう。そもそも人間には、たとえ初めて見る動物であっても「魚だろう」「鳥だろう」「哺乳類だろう」「トカゲだろう」といったことくらいは分かるはずだ、という経験的な観念があるように思える。
たとえば、シーラカンスが欧米に紹介されたとき、それはUMAではなかった。あくまでも未知の魚である。なぜシーラカンスは発見当初にUMA扱いされず、グロブスターはUMA扱いなのだろうか?
シーラカンスは生存個体が発見されたことや、現地住民の証言があったこともあるだろう。漁師から直接入手したという経緯もあるはずだ。しかし、シーラカンスの死骸を初めて目にした人物や報告を受けた人々は、それが「少なくとも何か魚であることが判った」からこそ、その存在を受け入れられた、という面があったのではないだろうか。だからこそそれはUMAだと疑われることもなく「新種の生物」という前提の元に扱われたのではないだろうか。つまりこの場合、既知のものとの類似性という点が、あるいは「これは新種の何々」と言えるかどうかが、UMAか否かを分ける一つのポイントになっているような気がするのだ。

3:類似性とUMA Edit

飛躍ではあるが、ここでUMAが既知の生物となるにあたって「現物だけでなく、既知の生物に類似性や類縁性が見いだせるかどうかも重要なファクターとなる」という仮説を考えてみたい。
UMAはその多くが現物を欠く目撃によって存在を知られる。不鮮明ながら「目撃写真」や「目撃映像」が公開されるのさえ少数で、多くはイラストと言葉による説明で成り立っている。証言は誰かにそれがどんな形だったかを伝えるため、自然と「何々のよう」という、既知のものとの類似を使った描写が多くなる。オウルマンやモスマンもそうだし、ネッシーなども言葉上は「ラクダのようなこぶ」「首長竜に似た」といった表現が頻発する。一方でグロブスターは何かとの類似で語られることが少ないように見える。鮮明な写真などで現物が示せることもあるだろうが、もともと類似例がほとんどないせいだ。せいぜいが「巨大で不透明な足のないクラゲ」や「巨大で単色のウミウシ」といったくらいか。
とはいえ、それは結局のところ「不定形でゼラチン質、もしくは軟体質」ということを言い換えているにすぎないし、「だからクラゲの一種だ」「だからウミウシの一種だ」という方向には行かない。
整理すると
・新種の生物=現物+既知生物との類似性
・多くのUMA=既知生物との類似性-現物
・グロブスター=現物-既知生物との類似性
となる(ここでの現物とは体毛など一部ではなく、本体そのものを指す)。
多くのUMAに「現物がない」というのはもっともな話で、だからこそUMAは未確認なのである。一方で、新種の生物とグロブスターとを比べると「既知生物との類似性」の有無が逆になっている
なぜ「既知生物との類似性」が両者の実在性の確からしさを分けるのか。単純に考えれば、もし他に似た生物の実在が確かめられていれば、その生物が新種の生物の実在性のいわば「保証人」として機能するということが挙げられるだろう。また、まったく類縁のない未知の生物が発見されることなどありそうもない、という漠然とした認識も影響しているはずだ。いずれにせよある生物が実在することの確かさが、物理的なモノの有無ではなく、最終的に「既知生物との類似性」によって担われている点は興味深い。つまりそこでは「あり得ると思えるかどうか」が重要なのだ。

4:認められないグロブスター Edit

事実や実際に体験したことを認められない、という状況がある。マンガなどで見かける「これは夢に違いない」というものだ。こうした状況にあるときその原因は様々だが、一つに「(個々人が持つ常識に照らして)あり得ないから」ということがある。前節でグロブスターと新種の生物とを分ける要素の一つとして「既知生物との類似性」を挙げた。また同様に前節では「常識としてあり得ると思えるかどうか」に由来していることを述べた。つまり、グロブスターがDNA鑑定などによってその実在を証明されるまでUMA扱いされ続けるのは「既知生物との類似性」を欠いている、つまり「あり得ると思えない」からだ。そして「あり得ると思えない」人が非常に多いからだ。そのためそれは一般に現実から目を背けているとはされず、慎重な態度、常識的な態度とされる。
証拠による裏付けもなしにある生物らしきモノを「新種だ」と考えないのは当然の態度にも見える。しかし、もしこれが「魚だろう」と思えるようなモノであれば、まずそれは「新種の魚ではないか?」という前提の元に扱われるはずだ。なのにグロブスターだとまず「UMAではないか?」「なにか既知のものの変形した死骸ではないか?」という前提の元に扱われしまう。問題は客観的な裏付けが行われる前に、それがどういう前提の元に扱われるのか、ということなのだ。還元すればそれは、(事実情報を知るということも含めた)体験を信じるか、常識を信じるかということだ。そして多くの人が常識を取る。
体験や事実情報を認めないこと。グロブスターはそれを(意識すらされずに)実行させるという点で、図らずも「いかに常識という概念が強固か」ということを露わにしているのである。

外部リンクEdit

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